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スタッフ紹介

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YSP杉並南Diary

《早瀬太嘉志》Hayase Takashi President & CEO

早瀬太嘉志

国家二級二輪整備士
二輪車安全運転指導員、TIG溶接施工技術修得、YTAシルバークラス取得

私たちは日本で一番お客様満足度の高いYSPを目指しています。
YSP杉並南は夢のあるYAMAHA MOTORCYCLEを橋渡しに、常にお客様にご満足いただける究極のトータルサービスを斬新な発想でご提案。最高の感動と歓びを提供することを理念とし、皆様のモーターサイクルライフを最上級の店舗、設備、スタッフでサポートするショップです。
当社の一番の売りはスタッフ個々の商人としての人柄とお客様への思いやりと謙虚さ、気くばり、心くばりを重んじています。また、お客様のオートバイを大切に扱い、約束を守り、嘘をつかないことをお約束いたします。
これを機会にスタッフ共々YSP杉並南をどうぞよろしくお願いいたします。

《早瀬昭二》Hayase Shoji MANAGER

早瀬昭二

国家三級二輪整備士

「快適なバイクライフのお手伝いをさせていただいております店長の早瀬昭二でございます。お客様との会話でバイクの話はもちろんですが、それ以外の話題でお客様と盛り上がっていることが結構多いです。「あそこのラーメン屋がうまい」とか「飲み過ぎで死にそうな二日酔いに襲われた」などなど。アットホームな雰囲気で私の下司な話題は延々と続くのです。
(困ったものでございますが、もちろん初対面のお客様とはこのようなお話はいたしません。してくれと言われれば、しても構いませんが)お客様にわかりにくいことを「わかりやすく」お伝えできるよう心がけておりますので、バイク初心者の方にも手取り足取りご説明をさせていただきます。是非お気軽に声をかけてください。

コラム「鈴鹿8耐の思いで-早瀬昭二」

私のバイク好きは小学校低学年位の時から始まった記憶があります、約三十年前の話です。
小学校から帰ってくると「三時のあなた」というワイドショーの中で「ポケットバイク天才少年」という特集コーナーがあり、私は息を止めて画面の前で硬直状態になっていたものです。「すっげー、何だこれ。ものすごく欲しい!」。それはその昔ブームの「ポケバイ*」だったのです。*ポケバイ=「ポケットバイク」の略、子供向けに作られた(大人も乗る)競技用の超小型バイク。
当時は子供にポケバイを買い与え、サーキットに連れて行く親といえば余程の金持ちか、将来子供をレーサーにしようと英才教育を考えている親のどちらかでした。しかしラーメン屋をやっていたわたしの家では天地がひっくり返っても無理な話でした。
「一生いい子にするから、ポケバイ買ってサーキットに連れて行ってくれ」と言ってもまったく取り合ってもらえませんでした。
今考えればあたりまえの話です。あまりのしつこさに痺れを切らした親父が「仕事の邪魔だバカヤロ」と怒鳴り、ついにはラーメンをかき混ぜる「菜ばし」で私の頭を一撃!「痛ッター」。その後自分の力でバイクに乗れるように考えなければと思い、色々な策略を頭の中で練っていました。
「三時のあなた」をきっかけにバイクへの興味が芽生え、本屋さんのバイク雑誌コーナーに入り浸り。
その結果日本製4大メーカーの車種や価格・諸元等をほぼすべて丸暗記するに至りました。こうしてバイク小僧は初めてバイクに乗れるであろう日を夢見て成長して行ったのです。
バイクに乗りたくて乗りたくて・・・とうとう我慢の限界に達したとき、「よし、こうなったら年齢をごまかして府中試験場に行ってみるか!」と、小僧はバカなことを真剣に考えたのです。その旨を近所のお兄さんに相談をすると「住民票」の話をしてくれ、100%無理だということを悟りました。「チキショー、うまく行くと思ったんだけどな」と自分の低脳ぶりがそのお兄さんにバレてしまったか?と少々恥ずかしくなりながらも、その時すでに次の手も考えていたのですが、お兄さんは「昭二君はバイクが好きだけど無免許運転や、人のバイクを盗んだりは絶対にしてはいけないよ」と優しさの中にも厳しい言葉で注意をしてくれ、もし無免許で捕まった場合の免許取得後いきなり免停になることもじっくり説明してくれました。話の中には優しい嘘も含まれており、「その免停は厳しくて、10年位バイクに乗れないんだって。怖いよな!」だって・・・バイク小僧の顔は硬直し、絶対に乗らない!と誓い、すっかりお兄さんの優しい嘘にハマったのでした。
小学校を卒業、中学に入学した私のバイクに対しての気持ちは尋常でなくなっていました。その思いをさらに加速させたのが、初めて実兄(現社長)に連れられ見に行ったレース「台風直撃の鈴鹿8耐」。危険が多過ぎることを理由に大会主催者側が8時間耐久を6時間に短縮した結果、当時、夢の夢であった日本人ライダーが表彰台を独占するという歴史的な凄まじいレースでした。

1982年、三重県鈴鹿サーキット。その日沖縄諸島を暴風雨に巻き込もうとする超大型台風がゆっくりと北上。鈴鹿8時間耐久ロードレース決勝当日、三重県への接近または上陸は避けられそうにありませんでした。
しかし当時の「8耐ファン」の気持ちは熱く、前日から泊り込んで翌日のレースを心待ちにしていました。
日が落ちると方々で酒盛りが始り、少年の私は大人たちの会話に首を突っ込んで「マセガキ」ぶりを存分と発揮していました。
あちらこちらで楽しそうな笑い声が聞こえ、翌日の大豪雨を誰も予想しません。
前夜祭も終わり、雨が少々パラついたものの「明日の天気はこの調子で行けば大したことはなさそうだなー、少年!ワハハハ」。同じテントに入れてくれた気さくなオッチャンは私の肩を叩き、日本酒ですっかり出来上がった真赤な顔に「HONDARSC」の帽子をかぶせて大いびきをかいて寝てしまいました。そして「鈴鹿サーキットで日本酒かよ!」と思いながら少年は慣れないテントで寝つけぬ環境と闘い、夢の中へ落ちていく。

「!?なんか体が変だ、夢か?」。
中学一年生の少年はテント内の水溜りに体を横にした状況で、明け方近くに目を覚ましました。深夜から明け方にかけて凄まじく振り続いた雨がテント内に入り込み、小さな池ができ、雨水が寝ている私の耳に入ってきて驚いて飛び起きたのです。
しかしそれは夢ではありません。まさに「寝耳に水」です。
前日の夜まで何とか持っていた天気は悪くなるばかりで、大型台風独特の横殴りの雨が容赦なく前日からキャンプを楽しんでいるライダーたちに吹きつけました。「こんな天候でレースは行われるのだろうか?」とギャラリーたちは心配な面持ちのまま各々サーキットに散らばりました。少年は日本酒のオッチャンと最終コーナーからグランドスタンドの中間あたりでずぶ濡れになり、固唾を飲んで午前11:30のスタートを待つ。
「少年!寒くないか?」
「大丈夫!」
傘は全く役に立ちませんでしたが、それより生まれて初めて見るサーキットの光景に少年は興奮で気がちょっと変になりそうだったのです。悪化の一途を辿る天候の中、1982年真夏の祭典?鈴鹿8時間耐久ロードレース決勝のスタートが切られる。
優勝候補のゼッケン1番〜10番位迄の外国人ライダーたちがレース序盤から次々に転倒とマシントラブルに見舞われ、戦線を離脱して行く。雨のレースに弱い外国人選手にとって、泥沼化したこのサバイバルレースは悪夢でしかなかったはずです。
風と雨は更にひどくなり、コースにはあちこちで小さな池ができていました。
そして衝撃的なシーンが。レース中盤、最終コーナーから立ち上がってきた選手が転倒、車体から投げ出されたライダーはそのままグランドスタンド前を通過し第一コーナー入り口まで、数百メートルを体ひとつで滑り抜けたのです。大したケガがなかったのは不幸中の幸いですが、今でも記憶に残る劇的瞬間でした。

「ご来場の皆様に大会主催者よりご説明をさせていただきます」。突然大音量のアナウンスがスピーカーから流れました。 台風でコンディションが非常に危険なため、8時間を6時間に短縮するものでした。10万人を超える観客席から一斉に歓声が上がりました。 鈴鹿サーキットには「魔物が棲む」と云われ、今でもその神話は語り継がれています。鈴鹿の魔物に牙を向かれると、どんな高名なチームやライダーであっても逃れることはできない、魔物は情け容赦なくリタイヤを宣告するのです。 魔物に牙を向かれたライダーを尻目に、完走を目指しコツコツと周回を重ねていたのが雨の鈴鹿サーキットには滅法強い、マシン開発で雨の鈴鹿を知り尽くしていた日本人のメーカー系開発チーム&ライダー達でした。決して無理をせず慎重に周回を重ね、「もしかしたら夢の表彰台に立てる」という期待を胸にひた走る。激しい水しぶきを上げながらモンスターマシン達は、安定しながらコーナーに飛び込んで行きました。 スタートより6時間が過ぎ、遂に奇跡が起こる。130Rを抜け最終コーナーへ姿を現したのは飯島茂男/萩原紳治組(チームブルーヘルメットMSCホンダ社員チーム)が乗るホンダCB900Fでした。そして大歓声と恐ろしい数のフラッシュを浴びながら、そのまま一位でチェッカーを受けたのです。

6時間に短縮されたレースながら史上初、日本人ライダーのペアが表彰台の中央に立つという誰も想像しなかった奇跡が起きたのです。観客席から耳を切り裂く大歓声は止まず、全員総立ちになり鈴鹿サーキットは台風をも吹き飛ばすパワーを放っている様子でした。 大雨の中、濡れネズミのような状態になりレースを見ていた少年の目に熱い涙が溢れていた「やった!日本人が勝った!よくやった!本当にみんなよくやった!」心の奥底で何回も叫びました。
日本酒のオッチャンも「すっげえや!少年ヤッタぞ!日本人だ、日本人だー!飯島と萩原が天下を取ったんだー!・・・バンザーイ、バンザーイ!」大粒の涙を流しながら昨日と同じく私の肩をバンバン叩きながら大喜びしていました。観客はメーカー派閥を越え、観客席でみな手を取り合い喜びを分かち合っていました。
表彰式が終了し、少年はサーキットを背に出口のゲートに向かう人込みに紛れていました。あたりはみんな、興奮冷めやらぬ様子でレースを振り返り、熱く語っています。
「よし、来年も必ず鈴鹿に来よう」と少年は心に決めました。
「それにしても・・・ああ、早くバイクに乗りたいなぁ」。バイクを知らないあの日にはもう戻れない。少年はこのとき現在の私に至る「二輪車業界への長い道」を歩き始めたのです。

「今すぐ16歳になりたい・・・」。8耐の後も相も変わらずバカなことを真剣に考える日々が続きました。その時代は誰しもが「8耐」に影響されて即免許を取り、バイクに乗る人が珍しくありませんでした。16歳になるまで残すところあと約三年間。毎日毎日、来る日も来る日もその日を待ち侘びていました。バイクに乗っている知り合いがいれば誰であろうと「10mでいいから後ろに乗せてください!」と、かなりしつこくネダリまくり「あいつの前にバイクで現れるとタダじゃ済まないから気をつけろ」と周りから警戒される始末でした。

念願がようやくかなった!永く永い我慢のファイナルが遂にやって来たのです。少年の手に「中型自動二輪運転免許証」が手渡されました。嬉しいとか感動したとか、その手の次元では説明がつかないほどの感情でした。
私はあの「三時のあなた」のポケバイを見てからというもの、自由を奪われ監禁状態にあったような気持ちでずっといました。
見えない何かに押さえつけられ、耐え難い思いでこの数年間を過ごして来たのです。
待ちに待った納車の日、もう何も言うことはありませんでした。今日までの人生16年の間で一番素直な気持ちになれた日だと思います。スロットルをゆっくりと開け冷たい風の中に包まれる、少年は青年へ変わろうとしていました。
二月極寒の某日、天候曇り。確か、ものすごく寒い日のできごとだったと記憶しています。

これが私とバイクとの出会いです。乗れなかった時期は本当につらい日々でした。その時にバイクが将来の仕事になるとは思ってもみませんでした。バイクが私に与えてくれた思いで。楽しいこと、悲しいこと。
話し始めると終わりはありません。また、これから先へと続くバイクライフを想像すると胸躍る気持ちであります。

さまざまなお客様とバイクの楽しさや感動を分かち合い、すべてのバイクファンの期待にお応えできるよう頑張ります。

《池谷和弘》Ikegaya Kazuhiro MECHANIC

池谷和弘

国家二級整備士
ヤマハテクニカルアカデミー、シルバークラス取得

バイクは僕の生活の中心にあります。たとえば、衣食住。バイクに乗りやすい服か?寒くないか?食べたすぐあと、バイクに乗れる食べものか?バイクが置ける家か?とにかく僕はバイクが好きです。こんなに楽しいものを少しでも多くの人に乗ってもらいたい。 乗ったことのない人はもちろん、現在乗っている人にも新しいジャンルのバイクの魅力を伝えたいと思っています。僕の髪型とバイクを見てください。僕は人と同じが嫌いです。
同じバイクでもカスタムすることで、自分の色が出ます。音楽的趣味であったり、ライフスタイルがカスタムされたバイクに表現されてゆきます。そんなお客様の「自分バイク」をいっしょになって考え、創造して行きたい。
僕が目指しているのは、バイク屋ではなく「カスタム屋」です。

《佐野央理》Sano Ouri MECHANIC

佐野央理

国家二級二輪整備士
ヤマハテクニカルアカデミー、シルバークラス取得
技能五輪出場

私の央理という変わった名前には中央の道を理解して真っすぐ進むという意味が込められています。この名に恥じぬようにお客様にウソをつかず、かくし事もせず、堂々とお話しができるように努力していきます!!
スタッフひとりひとりの個性を集結させたパワーのあるお店で、お客様がなにを感じ、求めているのか、お客様の立場で考え、カユイところに手の届くサービスを提供したい。
また、お客様とはバイク以外でも世間話で盛り上がれるようなあたたかい関係を結びたいです。

コラム「TMAXのススメ-佐野央理」

私は現在T-MAXを所有しています。しかしながらこの「スクーター」という乗り物を所有するのは、かつて16歳からバイクに乗り始めてから現在に至るまでかれこれ足掛け11年。初めての経験であります!
そもそも私は根っからのミッションバイク派でして、スクーターは「便利なもの」「つまらないもの」としか考えていませんでした。その根底を覆したのがこの「TMAX」です!
さて、何故そんなアウトロ〜な私がスクーターに乗ろうと思ったのか言いますと、以前乗っていたCRM250ARが焼き付き入院中だった頃、当店の試乗車がTMAXだったのです。(大したオチじゃなくてすいません)
それでは私が徐々にTMAXにハマッていく様子をお楽しみ下さい。

まずは通勤です。何よりも気になるのがシートの高さ。自分は足が長いのでこの点はマイナス評価になりませんが(ホントはつま先立ちです、失礼致しました)TMAXは低速バランスが非常に良い為ほとんど足を地面に着くことがありません。これは少々言い過ぎかもしれませんがバイクって基本的に片足がべた足になれば止まっている時は安定しますよね。
それとすり抜けを頻繁にされる方にも必見です。純正ミラーは、さほど邪魔になりません。トラック同士のあいだはさすがに無理ですが、すり抜けで不便さを感じる事はあまり無いと思います。どうしても前に出たければミラーをたたんじまえばこっちのもんです。その前にハンドルタイプにするのが無難ですかね?
なんといってもT-MAXがそのポテンシャルを発揮するのはツーリングではないでしょうか?高速域はまさに快適です。インテークがスクリーン下にある為、高回転時の吸気音はなんとも言えません。走りに関しても高いフレーム剛性、フューエルインジェクションによりスピード、バランスは圧巻です。
高速道路を降りたあとも楽しみは待っております。峠道に入るとまず50°のバンク角に驚かされます。ここでも剛管ダイヤモンドフレーム、高剛性フロントサスペンション、リヤモノクロスサスペンション、ダブルディスクブレーキ、ハイグリップラジアルタイヤが生きてきます。コーナリング時の不安や恐怖心をすべて解消してくれますよ!
強いて言えば立ち上がりの低回転の弱さ。‘05以降のインジェクション車に言える事ですが4000回転までは正直に言いますと非力です。この性格はコーナー立ち上がりだけに限らず0発進の時も同じです。しかしこれは好みではないでしょうか?4000回転から一気にパワーバンドに入り、待ってました!と言わんばかりにトルクフルに回転していきます。
ただこのトルクの谷が不快に感じたり、非力と感じられる方には、ワイズギアのアクセレーションキットがオススメです。変速特性を加速重視に変更するセッティングパーツでお値段も手頃です。社外のパワーキットは劇的にトルクアップしますが、時に乗りにくく感じたりもします。アクセレーションキットはT- MAXらしさを残しつつ、まるで純正装備のように滑らかに紳士的に加速してくれるカスタムだと思います。 カスタムに関してもこの車輌はたくさんの可能性を秘めていますよ!
例えば、私が1番苦労したカスタムは純正オプションのアラームイモビライザーのLEDインジケーターをメーターパネル内の標準装備イモビライザーインジケーターに移植するカスタムです。メーカー指定ですと純正オプションアラームイモビライザーを取り付けた最、インジケーターが2つになってしまいますよね?そこで配線図と格闘しながら考えたのがこのカスタムでした。ものすごく地味ですが、これがとても大変なんですよ(笑)
もっとお手軽に出来るのがヘッドライトの左右同時点灯です!やっぱりT-MAXは片目でしょう?と言う方も、気分で同時点灯に変更することも可能ですよ^^
同時点灯にするとバッテリーが上がってしまうというウワサもありますが、これも配線図と格闘の上、大丈夫と判断いたしました。しかも私の車輌でバッテリーが上がらないという実証済みです。
これまで論理深く語ってしまいましたが、T-MAXは見た目がカッコ良いですよね!
それだけでも十分だと思います。それに追随してエンジンの高性能さ、カスタムパーツの豊富さもあります。値段が高いのにもそれなりの訳があるのです。T-MAXのスペックを見てください。男心がくすぐられませんか?(女性の方ごめんなさい)
これを機会にお友達のバイクとちょっと差をつけて見てはいかがでしょうか?その為のお手伝いに我々は労力を惜しみません!
最後までお付き合いありがとうございます!

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